睡眠の話より先に、予定の変更は苦手か、順番を待つのは苦手か、匂いや音に過敏か、洋服のタグが気になるか等聞かれ、言われたのは、ASDの傾向があるということ。
「女性のASDはわかりにくいが、あなたはわかりやすい」
「それは手帳が取れるレベルですか?」
「手帳が取れるレベルです」
仕事を休んで平日に行ったせいか、たっぷり時間を取ってくれたのはありがたい。
ちなみに私の答えは
順番を待つのが苦手か→それはどういう状況で待つのか、待つというのはどのくらいの時間を言っているのか?
匂いや音に過敏か→それはどんな匂いでどの程度の音なのか、基準がないと答えられない。
終始こんな感じ。ああ、こうして書くと嫌な奴ですねえ。
そういう私は障害者の相談支援の仕事をしておりまして、言うなれば障害者福祉のプロ。
自分の担当にも発達障害の方もたくさんいますし、発達障害のことも彼らの生きづらさを十分承知しています。
もちろん、自分の中にその傾向があることもわかっていましたが、こうして改めて言われ、家に帰り、一人声を出して泣いた。
今まで普通になりたくて必死で生きてきたけれど、もう普通にはなれなくなってしまった。
そう軽くはない障害があって、それでも健常に紛れて、憧れて、でももうこれでお終いなんだ。自分は何も変わっていないのに、それを言われた前と後とでは、まるで人生が変わってしまったような絶望感がある。
障害の受容には時間がかかる。