理解のある彼君という言葉を知った。
彼ではないが、私には理解のある夫がいる。
どっから湧いてきた来たのかが話題かもしれないけれど、若くて美人だったら自然と湧いてくるものだとしか言いようがない。
夫があまりにイケメンすぎて一目ぼれしたというのが正解かもしれない。
掃除が苦手な夫と掃除が好きな私。
金銭管理ができる夫と金銭管理ができない私。
等々、お互いできない部分、やる気が起きない部分を無意識にサポートしあっている。
そして、生活する上で必須である、干渉されたくない、自由でいたいという部分が一致している。
私の特性上、同じ屋根の下で共同生活を送っているという関係にしかならないけれど、それがお互い心地よく、仲良く楽しく暮らしている。
ASDでも家族を持って幸せに暮らすことができる。
そんなことができるのは軽い人なんでしょと思うかもしれないけれど、私はそんなに軽い部類ではない。
風呂には入らない。援助があれば入れるとかではなく、援助や声掛けがあっても入らない。援助があれば入れる人はたいした障害ではない。自分が入りたいと思わなければ延々入らないのが私だ。工程が多すぎて大変で面倒くさい。体が濡れるのが嫌。濡れた体に服を着るのが嫌。
服を洗濯するのが苦手。感触が変わるから。
服薬ができない。医者からもらった薬を飲まない。自分からこの薬を出してほしいといって出してもらったものなら飲める。けれど勝手に処方された薬は飲まない。コロナに罹った時も処方された薬を飲まなかった。
まともな食事が取れない。ほっとけばわずかな種類の決まったものしか食べない。
ほとんどの野菜と肉が食べられない。脳が食べ物と認識しない。
コミュニケーションが困難。
上っ面の擬態と顔。
世間から浮かない格好。世間から浮かなければ世の中の人は「普通」として扱ってくれる。
見た目でわからない障害のメリットだ。