自分語りは好きではなく、誰かに理解してほしいとは思わない。
私は昔から人を必要としない人間だった。
とりあえず、睡眠障害の休養の為、1週間有給を取っているけれど、その間「よりそいホットライン」に電話をした。
24時間無料で話を聞いてくれる所で、自分に障害がわかって、これを職場にも家族にも打ち明けられず、でも誰かに聞いてほしいと思って必死にかけた。
結果。
よりそいホットラインのお姉さんがキレて一方的に電話を切られました。(マジで)
どんな温厚な人でも怒らせるのが発達障害。
それでもよりそいホットラインに電話してよかったと思ったのは、そもそも私は寄り添ってほしいわけではないと気づけたから。
こんな私でも普段は相談支援専門員という肩書で、地域では障害者の様々な相談支援に関わっているのです。
特に私の担当はほとんどが精神の方で、ちゃんと仕事スイッチが入っている時の私はいっぱしの相談員。すでに中堅の立場。
ただし、スイッチが入っていない場合、とたんにポンコツになるので、平気で他人に嫌われる。
うちに相談に来るような人たちは、もちろん話を聞いてほしい人もいるけれど、それよりも、困りごとを解決してほしいわけです。
話を聞くだけなら誰でもできる。けれど、この仕事は結果を出してなんぼ。
その困りごとをいかに迅速に解決するか。求められているのはそれ。
私も話を聞いてほしかったわけじゃなく、今後どうやって生きていくかの答えにつながるものが欲しかった。
というわけで、電話する相手を間違えていたわけです。ごめんね、お姉さん。
→どうやって生きていくか
今の仕事は続けられない。
何故ならその能力がないから。
相談の仕事は大好きで天職だと思っているけれど、それ以外の能力が求められる仕事は、どんなに意欲があっても無理で、努力してもまったく実が結ばない。
努力が足らないとか、成長の機会と捉える人もいるだろうけれど、私の場合はそこにシャッターが下りたように、その物事に関する情報が何も入らなくなる。
結果、ひかるさんだけわかっていないよ、とか、ひかるさんの書いた議事録は会議の内容と全然違うよ、という話になってくる。
やる気がないわけではなく、能力がないのです。
そして、仕事ができないことに対する申し訳なさを感じることなく「いや、でも、できないんだからしょうがないんじゃね?」という仕事に対する無責任さすらあり。
開き直るつもりはなく、もうちょっと悪いと思ってもいいんじゃないの?と思うけれど、残念ながらそういう感情は自分の中には生まれない。
そんなんでどこが天職やねん?と思われるかもしれないけれど、次々メンタル病んで人が辞めていく業界で、たとえ担当の利用者が自殺しようが、何時間も怒鳴られようが、決して折れない鋼の心。相談の仕事なら耐えられる。それが私の強みだと思う。
くわえて、一見人当たりよくおっとり優しい(ように見える)しゃべりと外見。
豊富な知識。
目指すのはその人の希望の暮らしに少しでも近づけるように。少なくともその強い思いは相手に伝わっていると思う。