私にとってその辺にいる虫の命も自分と関係ない他人の命も同じだ。
他人が何億人死のうが私にとってどうでもいい話でしかない。
そんなことで私の心は欠片も動かない。
これがすべての前提としてある。
例えば元首相が殺された。
それはこれまで人知れず苦しんできた二世を救済するために必要な命だったとしか思わない。
福知山線で犠牲になった人たちはJRの体質を変えるのに必要だった。
ヤフーのコメントなんかで「まずはご冥福を祈ります」と一言添える人がいるけど本気で言っているんだろうか。
冥福なんて、私にはすでに故人ことなのだからどうでもいい話だ。
何かで犠牲になった命はその問題を議題に載せるために必要な命だと思う。
そうやって古来より人は何かを犠牲にし改善を重ねながら生きてきた。
無駄ではないのだ。
そんな風に人をコマとしか考えられない所が「人の痛みがわからない」私の特性なのだ。
それがどれほど人を傷つけるかわかる。
けれど人を思いやったり痛みを推し量ることができないのだから仕方ない。
どうにもならないこと。
どうにもならないんだ。